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東京バレエ団(とうきょうバレエだん)は、1946年から1950年の間に活動した日本のバレエ団体である。このバレエ団は『白鳥の湖』全幕版を日本初演し、第二次世界大戦後の日本にバレエ人気を高めた〔『オックスフォード バレエダンス事典』332-333頁。〕〔『バレエを楽しむために』164-165頁。〕。なお、現在活動している東京バレエ団とは直接のつながりはない。 == 沿革 == === 結成 === 第二次世界大戦の終了後、軍需工場や慰問隊などに動員されていた女性ダンサーたちがバレエ団に戻り、男性たちも軍から復員してきて、日本のバレエ界は再始動した。当時服部・島田バレエ団を主宰していた島田廣は、バレエ界が協力して全幕バレエの上演を行うべきだと考え、舞踊評論家の蘆原英了に相談した〔『バレエを楽しむために』160頁。〕〔『日本バレエ史 スターが語る私の歩んだ道』12頁。〕。蘆原は島田の考えに賛同し、自らが呼びかけ人となって第二次世界大戦前から日本のバレエ界で活躍を続けていた東勇作、貝谷八百子に話を持ちかけた。その結果、地方へ疎開せずに東京に残っていた服部・島田バレエ団、東勇作バレエ団、貝谷八百子バレエ団の3団体が合同で公演を行うことになった。 蘆原は島田に上海バレエ・リュスで活躍し、その後日本に引き揚げてきた小牧正英を引き合わせた。島田、東、貝谷、小牧、そして服部智恵子が発足メンバーとなり、蘆原を顧問として1946年4月23日に東京バレエ団が結成され、第1回公演として『白鳥の湖』全4幕を上演することに決まった〔『バレエを楽しむために』160-161頁。〕。蘆原の紹介でバレエ団のスポンサーには東宝がつき、空襲に遭わず焼け残っていた世田谷区松原の貝谷八百子バレエ団の稽古場にダンサーたちが集まって稽古が始まることになった〔「白鳥の湖」発祥の地に記念碑建立 貝谷八百子記念 貝谷バレエ團ウェブサイト、2011年6月25日閲覧。〕〔『日本バレエ史 スターが語る私の歩んだ道』12-13頁。〕〔『バレエを楽しむために』161頁。〕。この時集まったダンサーの中で、島田、東、小牧を除くと男性は3名しかいなかったという〔『バレエを楽しむために』161-162頁。〕。このため、一部男性のパートも女性ダンサーが踊っていた〔『バレエを楽しむために』162頁。〕。踊りのない群衆や立役などのエキストラ男性には早稲田大学、慶応大学、上智大学の演劇部の学生が出演し、その中には当時慶応大学法学部の学生だったフランキー堺がいた〔『日本バレエ史 スターが語る私の歩んだ道』13頁。〕。 不足していたのは男性ダンサーだけではなく、練習着やトウシューズなども同様だった。小牧のように第二次世界大戦前からバレエを続けていた者たちはタイツやバレエシューズ、トウシューズを所有していたが、大戦後にバレエを始めた者たちは普段に着る物にも事欠く状況だったため、タイツなどは入手することもできなかった〔『バレエを楽しむために』163頁。〕。男性は水泳用パンツを穿き、寒い時期にはその下にズボン下を重ね着していた。女性でも男物のラクダのももひきをタイツの代用にしている場合があった。トウシューズに至っては、稽古用のズック製トウシューズを白墨で白く染め上げて舞台に立ったダンサーもいた。 当時の日本には、『白鳥の湖』の全幕用オーケストラ・スコアが存在せず、組曲版のピアノ・パートの楽譜だけしかなかった。小牧は引き揚げの際に上海で使っていた全幕用のピアノ・スコアを持ち帰っていたため、山田一雄がこのスコアをオーケストラ用に編曲した。 8月9日、帝国劇場で東京バレエ団第1回公演『白鳥の湖』全幕初演が実現した〔第二次世界大戦前に、エリアナ・パヴロワやオリガ・サファイアが第2幕を中心に一部を抜粋上演したことはあった。〕。演出と振付には上海でこのバレエの上演を何度も経験していた小牧があたり、指揮は山田、舞台美術は蘆原の叔父である画家の藤田嗣治が担当した〔『バレエを楽しむために』164頁。〕。 主役のオデット=オディールと王子に東の門下生だった松尾明美・東の組と貝谷・島田組のダブルキャスト、ロットバルトは小牧、王妃に服部、第1幕のパ・ド・トロワはやはり東の門下生だった松山樹子と半沢かほるの2人、そして王子を踊らない日の島田と東が交替出演していた。この公演は大好評を持って迎えられ、当初は8月25日までの予定だったものが8月30日まで延長された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京バレエ団 (第1期)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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